2005年08月14日

おぉー、やっと小説載せられたよ:後編

誕生日記念の小説の後編でっす。


―(後編)「推測」

森を抜けた先にある目的地『サクララピス』は、南にクロスロードの森、北から東にかけてブロッサム山がある、木に囲まれた街だ。
この辺りにしか無い「サクラ」という樹木の実から作る食べ物と、ブロッサム山から採れる宝石が有名である。
サクララピスに到着すると、早速ムーンはある場所へと向かった。
「喫茶店?」
「そう。ここで待ち合わせをしてるんだ。アスセラもおいで」
看板に『ヘンゼル』と書かれた、真っ黒い壁の怪しい喫茶店の扉を開くと、ムーンは「久しぶり」と声をかける。
外壁は黒いのに、店の中は普通の…いや、普通よりお洒落な感じのレイアウトだった。
声をかけた先はカウンターで、そこには熊のぬいぐるみを持った銀髪のポニーテールの女性と、黒髪に銀のメッシュを入れ、黒いコートにクリムゾン色のネクタイをした男性が座っていた。
「ムーン!」
ポニーテールの女性は、ムーンを明るい笑顔で迎える。
「キュリィさん、チューンさん、お久しぶりです!」
「セーヤさんの言ってた『ある人』って、お二人の事だったんですね」
シャインとブライトも、二人と面識があるらしい。
だが、もちろんアスセラには分かるはずも無く、彼は彼女よりむしろ彼女の座っていたカウンターの席が気になっていた。
「同じお菓子が、いっぱい」
カウンターには皿が何枚も乗っていて、未だに皿の上の料理に手をつけていない物もいくつかあった。
そこに乗っているのは全て同じ、桃色のいかにも甘そうなお菓子である。
「そーなの、サクアアピスのお餅ってすっごく美味しいの、ムーンもいう?」
「うん、私も食べようかな」
ムーンは彼女の隣の席に腰掛け、「相変わらずキュリィはラ行だけは喋れないんだね」と彼女に言う。
アスセラもムーンの隣の席に座り、シャインはアスセラの肩に乗り、ムーンの膝の上にはブライトが陣取る。
「むっ、ジェラシー感じるかも」
「でもアスセラさんが座ったら重いですよね」
少しばかり落ち込んだアスセラの姿は、丁度マスターに注文を頼んでいたムーンには見えない。
「で、セーヤから頼まれてた物って何なんだい?」
そうムーンが訊くと、銀のメッシュの男性…チューンがバッグから何かを出してきた。
「これです」
それは、やや大きめの一枚の白い紙。
その紙を広げると、どこかの建物の見取り図のようなものが描いてあった。しかも、部屋の数が多くて広そうだ。
「セーヤさんが今度『行く』所が、以前私達に依頼を下さった方のお宅なのです。家にも度々上がった事があるので、思い出せる範囲で良いから見取り図を描いて欲しいって言われたんです」
それを聞くとムーンは、てきぱきとその紙を折りたたみ始める。
「やっぱり仕事関連かぁ、危ない橋は渡りたくないのに」
ふぅっと溜息をつくと、「そえかあ」とキュリィから箱を渡される。
「ついでにお餅を買ってきてって言わえたの」
そのお餅はきっと、今キュリィの席に並んでいる桃色のお菓子の事だろう。
「もうお届け物は無いよね?」
「無いです」
それなら良かった、とムーンがほっとしていると、店員がやってきて皿を二枚とコップを二つ、カウンターに置く。
お皿にはキュリィが食べていた物と、同じ物が乗っていて、コップはそれぞれミルクが淹れられている。
「いいね、すっごく甘そう。いかにもキュリィが好きそうな感じがする」
「好きなの、このお餅!」
キュリィは満面の笑みをムーンに向ける。偽り等が一切無さそうな、純真無垢の笑顔だ。
「美味しいー!」
隣の席から、早速お餅に関するコメントが出てきた。アスセラだ。
「あ、そうだ」
そんなアスセラを見て、ムーンは何かを思い出したようだ。

「キュリィ、チューン、私から一つ、頼み事をしてもいいかな?」
名前を呼ばれた二人が、ムーンの方を見る。
「この子の素性を調べてほしいんだ。森でぶっ倒れてたトコをシャインが見つけて、私が拾ったばっかりなんだけど、どうやら記憶が無いようで…」
それを聞いて、アスセラがムーンに顔を向ける。
「記憶喪失ですか?」
チューンが訊くと、ムーンは頷いた。
「この子が持ってたこの手紙によると、名前はアスセラ=ハルタ。今年で十八歳で、大きな音に弱くて、能力があるんだ」
アスセラのポーチに入っていた手紙が、ムーンからキュリィの手元に渡る。キュリィはチューンと二人で手紙を読み始めた。
「へぇー…」
手紙を読むキュリィの目が、少しだけ真剣なものになる。
「能力は何があるか分かりませんか?」
「分からないけど、マントの内側の一面にナイフがずらっとあったから、きっとそれを使うと思うんだ」
アスセラのマントを捲ると、ずらっとナイフが並んでいる。
「すごぉーい」
その多さは、キュリィもチューンも感心するほどだった。
能力は、何も小魔物だけにあるのではなく、稀に人間が生まれ持ってくる事もある。
研究者によると、この世界の四割の人間が何らかの能力を持っているらしく、能力を持つ人間には魔物の血が混じっているとされている。
余程強い魔物でないと、生まれてきた子供の外見に何らかの影響は出ないが、魔物の血だけは強く、必ず魔物の能力は遺伝するそうだ。
「何か危ない仕事でもやってたのかなぁ、俺。あはは」
「その線はあります」
「えぇっ!?」
どことなく呟いたアスセラの独り言に、即座に反応したのはチューンだった。
まさか本当に答えてくれるとは思わなかったのか、冗談半分で言った言葉に真面目に受け取られたのに吃驚したのか。
「私は私の意見を述べたまでですが、貴方はそれに何か意見でもありますか?」
「いえ、何もありません…」
そんな風にきっぱりと言われると、アスセラはもう何も言えなくなった。

「で、問題はこのアスセラさんをどうするか、ですよね」
しみじみと、ブライトがミルクを飲みながら言う。
ムーンが何も言わずにお菓子を味わっている事から、最初からこのミルクはブライトの物だったのが分かる。
「言っとくけど、キュイィ達は情報を集めうだけだかあね?」
「私達の職業は『探し物中心の万屋』なので、情報を探す事はできますけど、他の事はしないですよ?」
それは暗に「アスセラを預かりたくないぞ」と言っているようなものだ。
「私の職業も魔物使い兼旅人さんだからねぇ…ここは一つ、他の誰かの所で世話してもらうしか無いんだけど」
お菓子の甘い味にうっとりしながら、ムーンも言う。
「えぇっ、俺、お姉様と一緒に居られないの!?」
お姉様しか頼れる人がいないのに、とアスセラは驚き、立ち上がる。
だが、ムーンは表情一つ変えずに、こう言った。
「だって、私は旅人だけど魔物使いでもあるから、普通の人間じゃ全く歯が立たない魔物を相手に仕事をしてるんだよ? 自分の身を守るくらいはできないと、私も困るんだよ…私だってそれはシャインとブライトに頼りきりだし」
頼りにしてるよ、とムーンは両手で同時にシャインとブライトを撫でる。二匹はたちまち笑顔になり、とても嬉しそうだ。
「で、でも…」
そう言って、アスセラははっと何かを思い出した。
「あの手紙によれば、俺は能力があるんだよ、それも、魔物に余裕で対抗出来るほどのやつが!」
アスセラがそう叫ぶと、キュリィは手紙を読み返す。確かにそこには『この森の魔物は貴方の能力で何とか倒せます』と書いてあった。
「でも、問題はあうよ?」
なら大丈夫でしょう、と堂々と胸を張るアスセラに、笑顔でキュリィが口を出す。
「『この手紙が信用できるかどうか』です」
チューンが頷いて、手紙をムーンとアスセラに見せる。
「いいですか、この手紙は、貴方が記憶を失った後に書かれているのです」
手紙を指差してチューンは言う。アスセラはきょとんとしているが、ムーンは何かに気付いたようだ。
「そうか、手紙の主は、アスセラの記憶が無くなった事を知っているんだ。それもアスセラが眠った後に!」
「え? え?」
意味が解らず、アスセラは困惑するばかりだ。
「手紙の文面では、アスセラの名前や年齢や能力だけじゃなくて、弱点まで説明している。アスセラ自身が覚えてない事を、他の誰か…そしてアスセラ自身にも、教えているんだよ」
うん、うん…とアスセラがムーンの言葉に納得する。
「名前や年齢や弱点、能力…それは、記憶が無くならない限り、いつまでも覚えている事。もし、アスセラが記憶を失くしていなかったら、こんな風に紙に書かなくても忘れるはず無いだろう? 自分の名前なんだから」
アスセラは、ここで、はっと何かに気付いたようだ。ムーンはにっこりと微笑む。
「つまり、アスセラが記憶を失くしている事を知った上で他人に伝えようとしてるんだよ、この手紙を書いた人は」
「えぇぇぇぇっ!? じゃ、じゃあ!」
つい、カウンターのデスクに勢いよく手を突いてしまう。突いた主のアスセラは、店員にキツく睨まれ、おどおどと座り込む。
「そう。そして貴方の記憶が無くなった事を知っているのは、記憶を失った時、その場に居合わせた人です」
チューンはそのまま、説明を続ける。
「そして、貴方はその人物を知らないのです。知っていたら、ムーンさんに今頃言っているはずでしょう? だから、貴方が記憶も、意識も失った後に、貴方の目の前から姿を消した可能性が高いのです」
「え…う…」
アスセラは必死に自分の記憶を思い返すが、そこにムーンや、シャイン、ブライト、そしてキュリィとチューン以外の人物の姿は無い。
「もし貴方がその人物を記憶が無くなった後に見たとしたなら、もちろん印象は残りますよね? 何しろ、知らない人がいきなり目の前にいるのですから」
シャインと初めて出会った時、アスセラは『貴方はどうしてこんな場所で寝てらっしゃるのですか?』という質問に答えられなかった。
もしそれ以前の記憶があれば、どうしてこの場所にいたかがあの時に思い出せたかもしれない。
「つまり、この手紙を書いた主は貴方を、記憶を失ったと分かっていながら森に放置したのです。それができるのは、貴方を余程嫌っていたか、何かの事情があって貴方を置き去りにせざるをえなかった人物」
納得できるけど、今、納得してはいけない。そうしたら、あの手紙を信用できなくなる。
手紙が信用できなくなるという事は、あの手紙に書いてある事の全てが信用できなくなるという事になるのだ。
「でも、俺は、強くてデカイ魔物がうじゃうじゃ居る、クロスロードの森で倒れてたのに、傷一つ無いんだよ!?」
「アスセア、あの森にいたの!?」
キュリィは驚き、アスセラに訊く。
このサクララピスの街は、森や山に囲まれた場所に存在する。
他の山や森でも魔物は存在するのだが、その中でも『クロスロードの森』だけは何故か強い魔物が生息している。
だから、クロスロードの森は魔物使いしか通る事が許されてない場所に指定されているのだ。
「そうだよ、あの森のど真ん中を通れる魔物使いの資格があるからこそ、私はセーヤに頼まれて此処に居るんだから」
ムーンはにっこり微笑って言った。それが、どういう事を意味するかも知らずに。

「…そこでもう一つ、問題が発生します」
チューンが何故か、アスセラではなくムーンに向かって言う。
「『何でアスセアは無傷であの森で倒えてたか』なの」
まるでバトンタッチでもするかのように、今度はキュリィが喋りだした。
「ムーン、アスセア、眠ってう状態ってのは、人間がいっちばん無防備になう状態なの。そんな状態で、何でアスセアはあの『クオスオードのもい』にいたの? それも無傷で!」
キュリィは挑戦的な目つきでビシィッと人差し指と矛盾をアスセラに突きつける。
アスセラは目を見開き、その事にようやく気付いたようだ。
「そういえば、違和感はあったんです」
ここでシャインが口を開く。シャインはアスセラと言うより、アスセラの衣服を見て呟いた。
「私はご主人とブライトと逸れた所で、眠ってたアスセラさんを見つけたんですけど、私はこの人に傷を癒す能力を使ってないんです」
「僕はてっきり、シャインが何かしたのかと思ってた…」
どうやらブライトはその事に気付いていたらしい。「気付いてなかったの、私だけ?」とムーンは苦笑した。
「私も可笑しいって思ったんです。だって魔物使いしか通れない森の中で、魔物も連れてない人が寝てるんですもの」
でもその疑問は、色々あっていつのまにか消えてしまいました、とシャインは自分の頭を軽く叩く。
「じゃあ俺は、何であんな場所にいたんだろう」
橙色の頭が俯く。
「これは、私の推測でしか無いのですが…貴方か、貴方の関係者にもしかして、魔物使いがいたのではないんですか?」
しかしチューンのこの一言で、俯いた顔が、ぱっと上がった。
「そしてこの森に入って、手紙を残して貴方を置き去りにした…置き去りにして間もないうちにシャインがアスセラくんを見つけたなら、傷が無いのも頷けますからね」
「でも、少なくともアスセラが魔物使いだったって事は無いよ、もしそうだったら、私が知っているはずだ」
だが、アスセラの顔を上げさせたチューンの推測の一部は、ムーンによって露と消える。
「私は魔物使いの試験で合格して以来、毎年どんな人が合格したかチェックしてきたんだけど、私と歳が近い人なんてあまりいなかった。ちなみに私が十五歳で合格した年を含めて四年間、十代の合格者は一人しかいない。そしてその人は現在二十歳になったばっかりだ」
へぇー、とキュリィが感心する。
「魔物使いの試験って、そんなに難しいの?」
アスセラが訊くと「難しいよ」とムーンはあっさりと答えた。
「新聞の一面の下辺りに合格者のインタビュー記事が載っちゃうくらい」
「特にムーンは凄かったんだよねー」
「恥ずかしいから、あんまり言わないでくれるかい?」
キュリィがそう口を出すと、ムーンは溜息をついてカウンターで軽く頭を打つ。
「へー、お姉様のインタビュー記事、俺も見たかったなぁ」
「もしかしたあ、記憶が無くなう前にアスセアも見たかもしえないね?」
ふふふ、とキュリィが笑うと、つられてアスセラもくふふ、と笑った。
「と、とにかく、重要なのはアスセラの周りに魔物使いがいるって事だね!」
「そして、その魔物使いは、アスセラさんの記憶を失った事に関わっている可能性がある、と言いたいんですよね?」
ブライトがムーンの発言にそう付け加えると、ムーンはこくこくと首を縦に振った。
「ただ、居ない可能性も、一応あるけどね」
「え?」
アスセラが思わずムーンに訊き返す。
「クロスロードの森は、確かに魔物使いじゃないと通れない決まりになってるけど、実際には誰でも簡単に入れる状態なんだ」
「駄目じゃん、それって!」
思わずアスセラがツッコミを入れる。
「だって、あの森の前には誰も見張ってる人なんていないし。森を怖がって誰も見張ろうとしないってのもあるけどね」
つまりクロスロードの森は、強い魔物がいるにも関わらず、ほとんど管理されていない状態なのである。
「誰かがこっそり森へ行って人を捨ててきても、誰もいないから分かあない、って事なの?」
「そう。キュリィもチューンも魔物使いじゃないし、サクララピスの住人でもないからね、分からなくても無理はないけど」
ムーンがそう言うとアスセラが「そうなの?」とキュリィに訊き、「そうなのー」とキュリィは笑顔で答える。
アスセラとキュリィ、チューンは初対面なので、知らなかったのも無理は無い…とムーンは思った。
実際の二人の住所は、サクララピスからもっともっと北にある街だ。
「だから、彼を森に置き去りにした人物は、魔物使いではない可能性がある、という事ですか?」
「うん。十分ありうる」
はっきりと頷いたムーンを見て、チューンはふーむと考え込んだ。
「はぁーあ、俺が魔物使いだったら、もっと早くお姉様と出会えて、尚且つすぐに俺が誰か分かったのになぁ。俺は何で魔物使いにならなかったんだろう」
アスセラは溜息をつき、少しだけふて腐れる。
「あはは、まぁ、魔物使いの試験っていうのは難しいものだから…記憶が戻ったら、受けてみると良いよ」
その難しさを思い知ればいいさ、とムーンはふて腐れたアスセラに挑戦的な笑みを浮かべる。
それを見てアスセラは、何かを思いついたような表情をして、ムーンに向かってこう言った。
「じゃあ、それまで、魔物使いの極意を師匠として色々教えてくれる?」
ムーンは少しだけ面食らったような顔をした後「いいよ。魔物使いがどんなに厳しいか、現役の私が教えてあげるよ」と微笑む。
「…なら、『師匠』は『弟子』の面倒を見なきゃいけないよね?」
まるで悪戯が成功した子供のように、ニヤッと笑ったアスセラは、ムーンに何かを期待するような瞳を見せた。
「あ、アスセラ?」
「ご主人、もしかして墓穴掘り始めてません?」
つい冷や汗を流すムーンに、ブライトがキツイ一言をぶつける。
アスセラはムーンの両手を取ると、言った。
「お姉様が魔物使いの極意とやらを教えてくれるなら、俺はしっかりとそれを学ばなきゃいけないよね?」
「えーと、つまり、それは…」
ムーンはひたすら、狼狽するばかりだ。
「俺、立派に魔物使いを目指すから、お姉様は面倒見てくれるよね?」
アスセラのその瞳からは必死さが伺える。
「…シャイン、ブライト…何か、とんでもない事になってきてないかい?」
シャインとブライトに救いを求めるムーンは、余程切羽詰っているようだ。
「ご主人、お師匠様になっちゃいましたね!」
「自分が面倒見るって言ったようなものですから」
救いを求められた二匹の中の、片方は笑顔で、もう片方は呆れている。
「でも…魔物だよ? 大丈夫なのかい? 本当になるつもりなのかい?」
「難しいだろうけど、お姉様が教えてくれるなら!」
未だにその手を握ったまま、ニコニコとアスセラは微笑んでいる。
「だけど、大丈夫だって根拠は無いよ、身を守る術だって…」
「俺は、何と言われようが、あの手紙を信じたい」
握る手の力が、強くなった。アスセラの表情が暗くなり、少しだけ俯く。
「だって、あの手紙が信じられなくなったら、俺はお姉様に何て呼ばれたらいいの?」
はっ、とムーンは気がついた。そして、自分が先程の言葉を思い出す。
『もし、アスセラが記憶を失くしていなかったら、こんな風に紙に書かなくても忘れるはず無いだろう?』
能力の事だけじゃない。彼自身の名前に関する手がかりも、この手紙にしか無いのだ。
「シャインに会った時に、自分の名前が思い出せなくて…凄く、凄く怖かった」
自分が自分であるための、大事なキーワード。それが、名前。
『俺、知ってる? 俺を!』
とっさに縋りついた猫も、知らなかった自分の象徴。
「でもこの手紙を見つけて、安心した。俺にはちゃんと名前があったって、思った」
アスセラは少しだけ、笑顔になってから、再び顔に陰りが戻った。
「ほんのちょっとでいいから、信じたいんだ、信じさせてよ。もう怖い思いは、したくないんだ…」
「アスセラ…」
何かの思いを隠しながら、何かの覚悟を決め、何かに縋り付く。
今のアスセラの顔には、その全てが出ていた。
「…アスセラ」
もう一度、ムーンがアスセラの名前を呼ぶ。
先程までアスセラを見ていたシャインとブライトが、ムーンの顔をじっと見た。
彼女もまた、何かを決めた。
「二つだけ、いいかい?」
アスセラに握られた両手の中の、右手だけをそっと外し、人差し指と中指を同時に上へ伸ばす。
「君は確かに記憶を失っている。だけど、それを無理して思い出そうとしなくていい」
ムーンは子供を諭すように、一つ一つ、優しく言葉を放つ。
「君はきっといつか、全ての記憶を思い出す時が来る。君が手紙を信じるように、私はそれを信じるから」
「お姉様…」
穏やかなムーンの黒い瞳を見つめれば、ムーンはにっこりと微笑んだ。
「それから」とムーンは言葉を続ける。
「私の名前はムーン=アナリシスだから、お姉様じゃなくてムーンって呼んでくれるかい?」
その呼び方、何かくすぐったい…と、今度は照れ笑いを浮かべた。
「分かった!」
ようやくアスセラは、本当に嬉しそうな、満面の笑顔になった。


店の扉が揺れ、ぱたんと音を立て、二人と二匹が消えた後。
「キュリィ」
チューンは、キュリィの名前を呼んだ。
「分かってうの」
ニコニコと、純真無垢な笑顔の彼女は、そこにはもう居ない。
居るのは、先程とは変わらない外見と口調なのに、大人のような真剣な表情をするキュリィ=ウォイマーという二十五歳の女性だ。
「『手紙が信用できない理由』『彼がクロスロードの森にいた理由』どちらも、未だに解決してないのです」
その彼女の変わりようにも動揺せずに、話を始めるチューンは、こうなる事が分かっていたのだろうか。
「まず、手紙が信用できない理由…手紙の主の正体に、私にはもう一つ、推測できる事があります」
「キュイィも分かるの。手紙の主が、アスセアの記憶を『消した』張本人かもしえないんでしょう?」
キュリィの口調は変わらないのに、声のトーンだけは妙に妖艶さが漂う。
カウンターに肘を置き、少し上目遣いでチューンを見つめる。
「そうです。何らかの事情でアスセラくんの記憶を消すような能力を使い、あの手紙を書いて、森に置き去りにした」
二人の考えは、一致していたようだ。
「それから、彼が森に居た理由も…」
「うん。無傷でいたって事は、何者かがアスセアに魔物が近づかないような罠でも張っていたか、手紙の主がアスセアかあ離えて時間が経ってないって事になうの。そして、少なくとも、シャインやムーンの証言では、辺いに罠を張ってた様子は無いの」
「だから、私のような『テレポート』の能力や空を飛ぶ小魔物が無ければ、手紙の主はまだこの近辺にいる可能性が高いのです」
どうやらチューンには、そういう能力があるらしい。
ちなみにシャインとブライトは、空は飛べるけれど、人を乗せる程の身長も、人を運ぶ程の力も無い。
小魔物には確かに飛べるものもいるが、人を運ぶものはよっぽどの貴重種である。

「でもねチューン、まだ問題は残ってうの」
「えぇ…『手紙の内容について』ですね」
もう一度、キュリィとチューンはカウンターに広げられたままの手紙を見る。
「大きな音に怯える…これは、彼自身に何らかのトラウマがある、という事です」
「きっと、アスセアの記憶の大きな手がかいなの」
「彼自身に関しては、その辺りからまず調べてみましょう」
どうやら、アスセラに関してはそこから調べ始めるらしい。
「それから、頑張って、生きお…ってのも、気になう」
「これは明らかに彼への激励の言葉であり、手紙の主は、彼に対して悪いイメージを持っていない事になります。でも、もし…」
「チューン」
キュリィは名前を呼び、チューンの推理を遮る。
「キュイィは、信じたいの。アスセアのように」
『君が手紙を信じるように、私はそれを信じるから…』
少し前のそのムーンの言葉は、しっかりとキュリィの頭に残っていた。
子供のように純粋な思いで、大人のようにしっかりと述べる。
「なら、私も信じます」
あれだけ、手紙の疑問点を突いていたチューンが、キュリィがそう言うと、あっさりとその手紙を信じると言い出す。
だがキュリィは「違うでしょ」と首を横に振った。
「チューンが信じうのは、アスセアじゃなくて、キュイィの事でしょ?」
「よく分かってますね」
チューンはその口に笑みを浮かべる。ムーンやアスセラが来た時にも見せなかった、愛しむような微笑み。
「手紙を書いた張本人は、まだこの近辺にいる可能性があります。まず、この辺りを探してみますか。…キュリィの能力の、出番です」
「うん、キュイィに任せて!」
やっと、キュリィが子供のような笑顔を見せた。
二人はカウンターから立ち上がった後、手紙をしまい、荷物を持ち、突然…その場から消えた。
それを見ていた店員は、呆気に取られた後…叫ぶ。
「店長、食い逃げです、食い逃げされましたぁぁーっ!!」
「何ぃーっ!?」
残されたのは、空の皿と、伝票と、この店にいた者だけ。


旅人の旅行記は、ここで一旦途切れてしまう。

これがきっかけで、運命は変わる。
旅人も、未来だけは分からない。

この日はそれを思い知り、一人の青年に「宜しくね」と言った日である。



そして後書き。

あれは去年だったかそれ以上前だったか。いきなり閃いて、書き始めたもの。
丁度その時オフラインの友人二人に小説を見せろと言われていたので、ネタの分からない友人にも分かるように説明文もとにかく突っ込みまくる。
しかしその約束は曖昧になって忘れ去られていきました。
友人のうち一人には別の小説を見せました。そのうち改訂版が載ると思う(謎
ちなみに後々その二人はこのブログを借りる原因にもなりました。
その後、怠け癖のお陰で全く書かれなくなっていったこの小説を、夏休みを機に続きを書きまくって完成させてみました。
実は夏休み前までは前編の半分しかできていなかった(笑

ムーン、シャイン、ブライトは過去の小説のキャラ。アスセラは新しくできたキャラ。
後編の二人は過去の小説の為に↑の方々とは別の友人から貰ったキャラです。
この前にもいくつかこのシリーズの小説を書いていたのですが、世界観はこの回でほぼ固まりました。
というか夏休み中にとにかく物凄い勢いで決めまくりました。
ここに出そうと設定したキャラが12人も増えました。
全部のキャラの名前は惑星、衛星、星の名前をそのまま使ったりいじくったりしてます。
惑星と衛星の名前って、殆どが神話から取られてるんだねぇ。つい最近知りました。
ただ、天王星の衛星だけはシェイクスピアの小説の登場人物の名前が由来だそうです。
その中で特にミランダという名前に胸が高鳴ったのはDグレのせいでしょうか。

このブログに載せる前に、後編のキャラをくれた友人にメールでこの小説を送ってみたのですが、どうにも修正ができてなくて中身がどうしようもない事になってしまいました。
ごっ、ごめんよー!!(滝汗


…そして次の話は未だに完成してません。
この話の前編ぐらいの量は書けているのに、未だに主要なキャラが揃っていません。
まだ現場にも着いてないのに!あの子なんて影すら出てないのに!
ようやく全員が自己紹介して、新キャラの本名が分かっただけなのに!
どうしよう、このままだと前後編どころじゃないぞ、5話構成だぞ!(ぇぇぇ


posted by 早月 at 01:04| 兵庫 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 小説と詩を作ってみた | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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